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2020年10月5日

木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)という美しい神様のお話しは皆さまご存じでしょう。そのサクヤヒメのお姉さまのお話しをご存じでしょうか。通称を磐長毘売(イワナガヒメ)、古事記では木花知流比売(コノハナチルヒメ)といわれています。

画像提供 n.overandoverさん

2019年6月中旬よりTwitterにて”寂しくされている小さなお社や塚やお堂や祠、なんでも構いません。皆さまの気になっている場所を教えてください。”と皆さまに情報を求めておりました。詳細な情報をお寄せ下さいました場所に赴き供養させて頂きましたのでご報告させて頂きます。

上記の情報をお寄せ下さいました時点でのお写真では草に埋もれていらっしゃいますが、供養に伺った際には草が整備されておりました。定期的に管理されている場所であるようです。しかしながら、日々多くの方がこの場所と心を通わそうとしている感覚は薄いようです。

供養当日の鳥居と石碑周辺

伽羅目線一つ目。鳥居の右下の岩(お水をお掛けして、お拭きしたため濡れています)

小御嶽磐長姫神(こみたけいわながひめかみ)

磐長姫(イワナガヒメ)の前に『小御嶽』(コミタケ)と書かれていますね。

コミタケという山は実際に存在し、その場所は富士山の礎となっています。現在の富士山に至る前、小御嶽と古富士の二つの山が在りました。現在の富士山はこの二つの山が噴火を繰り返したのち、新富士火山の活動によって日本一と呼ばれるまでに成長しました。現在、小御嶽を祀る『富士山小御嶽神社』が富士山の5合目にあります。

小御嶽(コミタケ)火山(約70~20万年前)、古富士火山(約10万年前~)、新富士火山(約5千年前~)

現在の富士山より先に誕生していたので、コミタケは富士山のお姉さんのようです。

コミタケイワナガヒメを過ぎて鳥居をくぐると、草木が生い茂り先へは全く行けない状態でした。

生い茂る草木の中に石碑がありました

画像提供 n.overandoverさん

石に書かれている文字は『水 浅間大神』すなわち有名なコノハナサクヤヒメの事です

兎にも角にもこれより先は進めませんでしたが、この石碑からは“思い”の発信はありませんでした(伽羅目線その二)

引き返して鳥居を出るとイワナガヒメの石碑の右手に階段がありました。かなりの急斜面です。

城址と思われる土塁と役割を終えたお祀りの石碑が階段を上った場所に確認できます

“立入禁止”の立て看板がありますので、よい子は上ってはいけないようです。

伽羅自身がこの階段を上ったかどうかは秘密ですが、ここだけの話し「この度の供養」に関わらなくてよいものでした。よって、供養の対象は鳥居手前の『小御嶽磐長姫神』のみの供養となりました。(伽羅目線その三)

↖供養の際に使用した和紙

護摩木のように、この紙も供養終了後に燃やしたいのですが、引火しやす落ち葉や枝がある場所では控えなければなりません。紙は自宅に持ち帰り燃やしました。

この度の情報提供にご協力下さいましたのは、n.overandoverさんです。(お名前表示の了解を頂いております)

不慣れなSNSでのご縁でしたけれど、このように心ある方と繋がる事が出来ましたことは最大の収穫であったと言えます。n.overandoverさんのご紹介がなければ千葉県幕張本郷のイワナガヒメの供養は生涯行うことはなかったと存じます。イワナガヒメと出会わせて頂けたことで、神界を拝見する際の視野が格段に広くなりました。

幕張本郷駅では、予定の時間に遅れて参りました私をずっと待っていて下さいました。(お仕事のご都合をずらして下さっていらっしゃいました<m(__)m>)申し訳なくて仕方なかったです。しかしながら、とても品のある方が駅に立っていらっしゃいましたので、一目でn.overandoverさんと判りました。当日、私が購入予定でしたお酒などもあらかじめ買ってくださっていて本当に助けて頂きました。供養現場では一生懸命にやぶ蚊を追い払ってくださいました(;’∀’)大変お優しい対応に私の方が癒されました。n.overandoverさん本当にお世話になりました。何から何まで有難うございました。またのご供養の際にはどうぞ宜しくお願い致します。

供養を終えた段階で、n.overandoverさんは急ぎお仕事に戻られ、私は稲毛にあります『稲毛浅間神社』へ向かいました。この場所にもイワナガヒメがお祀りしてあるとの事で足を運びました。内容はまた別のページにて、続きます。

稲毛浅間神社